マツダセダンの歴史と現モデル2車種のご紹介!!

マツダセダンの歴史と現モデル2車種のご紹介!!

セダンやクーペ問わず、ロータリーエンジンで時代を席巻したマツダ

マツダ自動車は、1920年に広島市で設立された東洋コルク工業が母体でした。11年後の1931年10月に自動車産業に進出を開始、作られたクルマは3輪のトラック、屋根のないスタイルでした。エクステリアは2輪のオートバイに四角形の箱が付いている感じです。それから30年以上経った1967年に、後の代名詞になるロータリーエンジン搭載のコスモスポーツと呼ばれるクーペタイプのクルマを発売、たちまち当時の話題の中心となりました。ロータリーエンジンの特徴は、軽量でコンパクト、出力の爆発力が大きいことで、ロータリーを搭載したマツダ車は国内のレースで勝利を連発する活躍をみせ、若者を中心に人気を一気に集めました。この後セダンにもロータリーが搭載され始めました。

マツダセダンの名車たち

マツダのセダンの歴史には、名車が多く輩出されています。「ルーチェ」「サバンナ」「カペラ」「ファミリア」のロータリーエンジンが搭載された4車種は、人気や性能が別格でした。4車種ともクーペとセダンが生産されレースを中心に活躍するクーペに注目が集まったのは事実ですが、セダンの人気も高く、買い替えの時の下取りのメーカーが、半数以上マツダ以外のところだったというエピソードも残っており、当時の桁外れの人気ぶりが伝わってきますね。小型車の「ファミリア」は4代目モデルが、邦画史上における名作といわれる高倉健さん主演作「幸せの黄色いハンカチ」に出演し、誰しもが知る人気モデルとなりました。



マツダの赤(ソウルレッドクリスタルメタリック)の由来とは?

1973年頃に起こったオイルショックは自動車メーカーに大きなダメージを与え、マツダも苦しい時期を迎えます。マツダの根幹であるロータリーエンジンの燃費の悪さがユーザーから嫌われ、低迷を続けました。マツダが我慢を続けるときに救世主が現れました。5代目のファミリアです。景気が回復した1980年に発売開始した赤いファミリアが空前の大ヒットし、日本カーオブザイヤーを受賞するなどの好評価を得ました。また1982年には生産100万台の世界記録も達成、外国からも注目を浴びます。経営危機の声も聞こえていたマツダを救った、赤いファミリアの「赤」がラッキーカラーと捉えられ、トレードマークになりました。現在はソウルレッドクリスタルメタリックがマツダのメインカラーになっています。

アクセラセダン

アクセラセダンは、デミオより一回り大きいサイズになりますが、小回りの利く便利なサイズがセールスポイントです。アクセラセダンはエンジンのバリエーションが、ディーゼル、ガソリン、ハイブリッドと3種類展開され、ユーザーの好みに対応しています。エクステリアの特徴はトランクルームの部分の短さで、横から見るスタイリングは一瞬ハッチバックか?と見違えてしまうほどです。それゆえの美しいデザインはセダンの限界を超えていますね。またドライビングポジションの構造変更やオルガン式アクセルペダルの採用で、運転のしやすさが向上していることを実感でき、走る楽しみも増えています。


アテンザセダン

アテンザセダンはマツダの最上級セダンに位置します。セダンながらソウルレッドクリスタルメタリックが似合うエクステリアにはうなるばかりです。こちらは、横や後ろから見るエクステリアがセダンらしく仕上がっており、落ち着きを感じますね。走行面では長距離や悪路の対応に磨きがかかり、4輪駆動の「i-ACTIV AWD」は、登坂やアイスバーンで一味違う能力を発揮しますので、他車との安心感が違います。悪路走行はSUV車の流れができていますが、アテンザセダンは大人4人をしっかり安全に運べるセダンといえますね。

まとめ

今回はマツダの歴史を振り返ってみましたが、いかがだったでしょうか?1955年前後に生まれた方に、人気とレースで強い印象が大きいことがわかりました。特にラリーレースのブームがあった時の象徴が強いようです。現在のマツダは、幅広い年齢層に受ける人馬一体をキャッチフレーズに、楽しいドライブができるクルマを作っていますので、セダンにおいても乗客をもてなすばかりでなく、走る、攻めることも忘れていません。またデザインの一部として公言している「赤」のボディカラーはセダンにもよく似合います。セダンを一台所有するだけでマツダのすべてを得ることができますので、購入ご検討の際は、マツダのセダンを覚えていてほしいですね。